
プロフィール

自らのクルマのカスタムにつぎ込んだ金額は4桁万円に迫るほどというコアなカスタム中毒者でありジャンキーな経歴の持ち主。現在ラリー屋。好きな車はBNR32.最高自動車同時保有台数5。「公道はサーキットではない」をモットーに安全運転を第一とするゴールド免許ドライバー。
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【再録】ホシノインパルのモノ作りを支える男の絆
2011年09月05日
「MJ lab」でご紹介したブログの再録です。色々なショップのオーナー様より多くのご反響を頂いたため、クルマ好きの方々に是非もっと読んでいただきたく、「MJの部屋スタッフブログ」にも転載させていただきます。
ホシノインパルのモノ作りを支える男の絆
クルマ好きなら誰もが知っているチューニングパーツメーカー「IMPUL」。カスタムインフェクションの読者なら知らない人はいないはず。そんなIMPULを率いるのはもちろん星野一義氏だ。私がN産自動車の販売店に勤めていたころから「IMPUL」と言えばチューニングパーツメーカー最高峰だった。その頃からチューニングやカスタムに心を奪われていた私は、市販車をベースに一定のレギュレーションに従い改造したマシンを競わせる全日本GT選手権(現SUPER GT)に夢中だった。
入社当時はまだ「スポーツカー」もまだまだ売れている頃、ちょうどS15型のシルビアがモデルエンドになる時にも営業マンだった。入社当時からチューニングマシンに憧れ、給料を次々とパーツや油脂類に惜しげもなくつぎ込んだ。とにかく仕事が終わったらサービス工場で「新しく手に入れたパーツを取り付ける、そして乗ってみる」を毎晩のように繰り返していた。当時は今のように自動車ディーラーが色々なチューニングパーツを取り扱う時代ではなく、オプションでも取り扱いが少なかった。
私の中での「IMPUL」は当時ディーラーでは扱いの少なかったチューニングパーツリストから「スポーツカー系の商談で装着を薦めていたパーツメーカー」であると同時に、当時GT選手権で夢中になって応援した「カルソニックブルーのR32GT-Rをガンガン走らせているメーカー」だった。中でも「IMPUL」は日産車系のチューニングメーカーだったこともあり思い入れと憧れが強かった。当時のディーラーでの取り扱いパーツリストには他にも何社かの掲載があったが、それらのメーカーも今では立派な会社になられているが当時まだ揺籃期だった。

「IMPUL=イコール星野一義氏」というイメージをお持ちの方は多いはず。しかし今回の取材で、残念ながらこれは半分正解だと私は思った。星野一義氏の活躍は誰もが知るところ。しかし元々は神奈川県のカワサキ・コンバットという2輪のレースチームに入り、同氏のレースの原点はモトクロスであることは意外に知られていない。その後あの片山義実氏が主宰する神戸・木の実レーシングという同じくカワサキの契約ライダーになり、翌年日産の契約ドライバーの採用テストに合格しここから4輪の世界で頭角を現すのである。
先ほど最初に半分正解と言ったのは「IMPUL」には、金子豊氏がおられるからだ。現在は取締役営業部長であり、星野氏の義弟にあたる。「IMPUL」はこのお二人の絆でできていると言っても過言ではない。この取材を通じてお互いをお互いが認め合っておられるのが痛いほど伝わってきた。

実はお二人は星野氏が15歳の頃からの知り合いだそうだ。インパルを設立した1980年当時、星野氏32歳、金子氏36歳というご年齢だった。若いころから星野氏はいい意味で「将来に対する不安」を抱いていた。レーサーを引退した時の事やご自身にもしものことがあった場合の事など、若いレーサーなら全く考えないようなことを真剣に考えておられたそうだ。言い過ぎかもしれないがその「不安」が「ホシノインパル」を作り、星野一義を「日本で一番速い男」にしたという考え方も出来るかもしれない。「”才能ある努力家”という言葉があるかどうかは分からないけれど、まさに星野はそんなタイプだよ」と金子氏は語る。

経営においてもレースにおいても常に一歩先の事を考えていた星野氏。いい意味で不安を感じ、「自分たちが食っていくため」にきっちりと「稼ぐ」方法を考えていたそうだ。「チームとしてレースに出ている間は良いが、レースのない時はどうする?メカニックにもレース中以外に仕事を用意しないといけない」、それじゃあ「Garage IMPUL」を作ろう。「レースで培った技術やデータを市販車へ活かし、IMPULとしてチューニングパーツを開発しよう」それらを売ることでまた次のレースに出られる…ごく自然の考え方だった。
現役のレーサー、しかも星野氏のような超一流のレーサーでこんな堅実な考えを持っている人物は少ないと思う。金子氏は「自分が星野の立場なら(IMPULは)こうは行かなかったんじゃないかな」と謙遜された。その表情にも相手を思いやる気持ちと尊敬の念が十分に表れていた。
現在「TEAM IMPUL」の監督として活躍する星野一義氏のこんなエピソードを伺った。レースに関してはドライバーとしても監督としてもある意味「バクチ打ち」だそうで、契約ドライバーの選考についてこんなことがあったそうだ。別のチームでマシンを何台もダメにした実績のあるレーサー、業界の通例ならまず契約しないのだが、「あんなところで(アクセルを)開けられる奴は速いに決まってる」と「星野一義基準」でドライバー契約することもあるそうだ。他のレーシングチームではこうはいかない。こんな事が出来るからカッコいいのではなく既に確立された「星野一義独自のセオリー」とこれまでの実績が、周りのスタッフを納得させているのだ。だからと言って周りの意見を全く聞かないわけではない。現にレースに参戦する「有限会社ホシノレーシング」の代表は金子豊氏だ。文字通りファミリーであり、パートナーとしてお互いを認め合っているのである。

レーサーの多くが類稀なる才能を持ってサーキットへやって来る。当然彼らは「誰よりも速い」からだ。しかしサーキットで「もっと速いヤツ」に出会う。しかし「日本で一番速い」星野氏にとっては自分以上に「速いヤツ」は当時いなくなった。ここで一流のレーサーでも安心して、努力を止めてしまう。悲しいかなそれは「あの類稀なる才能」が邪魔するせいだ。すなわち「いつも通り」やればレースに勝てるからだ。しかし星野氏はそうではなかった。「勝って兜の緒を締めよ」タイプでとても堅実な性格、そこへ来て天賦の才がありながらの努力家、誰が追い付けようか。日本一速い男は日本一堅実で努力家なのだ。
「星野は堅実であっても夢が無いわけではない」と金子氏は語る。現役当時から色々なことに対して真剣に向き合い、将来の事や会社の事、レーサーとしての自分を見つめ直したり。その都度「明確な目標と夢を持って前進していた」そうだ。それはIMPULのパーツ一つにも表れている。自分に厳しく、常に自己研鑽を重ねる星野氏にとって「IMPUL」として最高レベルの製品を世に送りだすことを今も使命として仕事に取り組んでおられる。金子氏と激しく意見がぶつかることも日常茶飯事だそうだ。

「コストのための妥協は一切しない」、「製品は最高レベルを自負している」と語る金子氏の言葉は真剣だった。
IMPUL製品は「才能ある努力家」星野一義と、それらを受け止め「一切の妥協を許さない」金子豊という2人の「男の絆」で生み出されている、「魂のこもったチューニングパーツ」なのだ。
若者のクルマ離れ、スポーツカー離れが深刻だと言うあまり嬉しくないニュースが報道されて久しい。「クルマ本来の楽しさ」についてお話をお聞きしたがIMPULのモノづくりに対する姿勢、インパルを作っている中心の両氏に話をお聞き出来たことでこれからのチューニング・カスタム業界はまだ盛り上がると感じた取材だった。
そんなお二人からメッセージを頂いた。
「クルマは新しい物(新車)にはかなわない」それはメーカーが莫大な金額をかけて真剣に開発した製品だから。これからクルマを初めて手に入れる人も、買い替える人も「新しいクルマのメカニズム、機構を是非体感してみてほしい」。自動車メーカーはこれからも素晴らしい「新車」を作り続けてほしい、と。
お二人は現在60代。失礼ながら全く歳を感じないと言うか、感覚がとてもお若い。大変多忙なお二人に2時間以上の取材時間を頂戴した。取材にあたっては、モータースポーツで何かしらの成績を収めたでもなく、ましてやレーサーでもない私。カスタムインフェクション読者の皆さんと変わらない目線の、つまり大変失礼ながらスポーツカー、とりわけチューニングカーが大好きな「1モーターファン」としてお話をお聞きしたいとお願いしたところ快諾していただいた。こんな破格の待遇で迎えていただいたIMPULの星野一義社長をはじめ金子豊取締役営業部長、ホシノインパルの皆さんに感謝を申し上げます。
ホシノインパルのモノ作りを支える男の絆
クルマ好きなら誰もが知っているチューニングパーツメーカー「IMPUL」。カスタムインフェクションの読者なら知らない人はいないはず。そんなIMPULを率いるのはもちろん星野一義氏だ。私がN産自動車の販売店に勤めていたころから「IMPUL」と言えばチューニングパーツメーカー最高峰だった。その頃からチューニングやカスタムに心を奪われていた私は、市販車をベースに一定のレギュレーションに従い改造したマシンを競わせる全日本GT選手権(現SUPER GT)に夢中だった。
入社当時はまだ「スポーツカー」もまだまだ売れている頃、ちょうどS15型のシルビアがモデルエンドになる時にも営業マンだった。入社当時からチューニングマシンに憧れ、給料を次々とパーツや油脂類に惜しげもなくつぎ込んだ。とにかく仕事が終わったらサービス工場で「新しく手に入れたパーツを取り付ける、そして乗ってみる」を毎晩のように繰り返していた。当時は今のように自動車ディーラーが色々なチューニングパーツを取り扱う時代ではなく、オプションでも取り扱いが少なかった。
私の中での「IMPUL」は当時ディーラーでは扱いの少なかったチューニングパーツリストから「スポーツカー系の商談で装着を薦めていたパーツメーカー」であると同時に、当時GT選手権で夢中になって応援した「カルソニックブルーのR32GT-Rをガンガン走らせているメーカー」だった。中でも「IMPUL」は日産車系のチューニングメーカーだったこともあり思い入れと憧れが強かった。当時のディーラーでの取り扱いパーツリストには他にも何社かの掲載があったが、それらのメーカーも今では立派な会社になられているが当時まだ揺籃期だった。

「IMPUL=イコール星野一義氏」というイメージをお持ちの方は多いはず。しかし今回の取材で、残念ながらこれは半分正解だと私は思った。星野一義氏の活躍は誰もが知るところ。しかし元々は神奈川県のカワサキ・コンバットという2輪のレースチームに入り、同氏のレースの原点はモトクロスであることは意外に知られていない。その後あの片山義実氏が主宰する神戸・木の実レーシングという同じくカワサキの契約ライダーになり、翌年日産の契約ドライバーの採用テストに合格しここから4輪の世界で頭角を現すのである。
先ほど最初に半分正解と言ったのは「IMPUL」には、金子豊氏がおられるからだ。現在は取締役営業部長であり、星野氏の義弟にあたる。「IMPUL」はこのお二人の絆でできていると言っても過言ではない。この取材を通じてお互いをお互いが認め合っておられるのが痛いほど伝わってきた。

実はお二人は星野氏が15歳の頃からの知り合いだそうだ。インパルを設立した1980年当時、星野氏32歳、金子氏36歳というご年齢だった。若いころから星野氏はいい意味で「将来に対する不安」を抱いていた。レーサーを引退した時の事やご自身にもしものことがあった場合の事など、若いレーサーなら全く考えないようなことを真剣に考えておられたそうだ。言い過ぎかもしれないがその「不安」が「ホシノインパル」を作り、星野一義を「日本で一番速い男」にしたという考え方も出来るかもしれない。「”才能ある努力家”という言葉があるかどうかは分からないけれど、まさに星野はそんなタイプだよ」と金子氏は語る。

経営においてもレースにおいても常に一歩先の事を考えていた星野氏。いい意味で不安を感じ、「自分たちが食っていくため」にきっちりと「稼ぐ」方法を考えていたそうだ。「チームとしてレースに出ている間は良いが、レースのない時はどうする?メカニックにもレース中以外に仕事を用意しないといけない」、それじゃあ「Garage IMPUL」を作ろう。「レースで培った技術やデータを市販車へ活かし、IMPULとしてチューニングパーツを開発しよう」それらを売ることでまた次のレースに出られる…ごく自然の考え方だった。
現役のレーサー、しかも星野氏のような超一流のレーサーでこんな堅実な考えを持っている人物は少ないと思う。金子氏は「自分が星野の立場なら(IMPULは)こうは行かなかったんじゃないかな」と謙遜された。その表情にも相手を思いやる気持ちと尊敬の念が十分に表れていた。
現在「TEAM IMPUL」の監督として活躍する星野一義氏のこんなエピソードを伺った。レースに関してはドライバーとしても監督としてもある意味「バクチ打ち」だそうで、契約ドライバーの選考についてこんなことがあったそうだ。別のチームでマシンを何台もダメにした実績のあるレーサー、業界の通例ならまず契約しないのだが、「あんなところで(アクセルを)開けられる奴は速いに決まってる」と「星野一義基準」でドライバー契約することもあるそうだ。他のレーシングチームではこうはいかない。こんな事が出来るからカッコいいのではなく既に確立された「星野一義独自のセオリー」とこれまでの実績が、周りのスタッフを納得させているのだ。だからと言って周りの意見を全く聞かないわけではない。現にレースに参戦する「有限会社ホシノレーシング」の代表は金子豊氏だ。文字通りファミリーであり、パートナーとしてお互いを認め合っているのである。

レーサーの多くが類稀なる才能を持ってサーキットへやって来る。当然彼らは「誰よりも速い」からだ。しかしサーキットで「もっと速いヤツ」に出会う。しかし「日本で一番速い」星野氏にとっては自分以上に「速いヤツ」は当時いなくなった。ここで一流のレーサーでも安心して、努力を止めてしまう。悲しいかなそれは「あの類稀なる才能」が邪魔するせいだ。すなわち「いつも通り」やればレースに勝てるからだ。しかし星野氏はそうではなかった。「勝って兜の緒を締めよ」タイプでとても堅実な性格、そこへ来て天賦の才がありながらの努力家、誰が追い付けようか。日本一速い男は日本一堅実で努力家なのだ。
「星野は堅実であっても夢が無いわけではない」と金子氏は語る。現役当時から色々なことに対して真剣に向き合い、将来の事や会社の事、レーサーとしての自分を見つめ直したり。その都度「明確な目標と夢を持って前進していた」そうだ。それはIMPULのパーツ一つにも表れている。自分に厳しく、常に自己研鑽を重ねる星野氏にとって「IMPUL」として最高レベルの製品を世に送りだすことを今も使命として仕事に取り組んでおられる。金子氏と激しく意見がぶつかることも日常茶飯事だそうだ。

「コストのための妥協は一切しない」、「製品は最高レベルを自負している」と語る金子氏の言葉は真剣だった。
IMPUL製品は「才能ある努力家」星野一義と、それらを受け止め「一切の妥協を許さない」金子豊という2人の「男の絆」で生み出されている、「魂のこもったチューニングパーツ」なのだ。
若者のクルマ離れ、スポーツカー離れが深刻だと言うあまり嬉しくないニュースが報道されて久しい。「クルマ本来の楽しさ」についてお話をお聞きしたがIMPULのモノづくりに対する姿勢、インパルを作っている中心の両氏に話をお聞き出来たことでこれからのチューニング・カスタム業界はまだ盛り上がると感じた取材だった。
そんなお二人からメッセージを頂いた。
「クルマは新しい物(新車)にはかなわない」それはメーカーが莫大な金額をかけて真剣に開発した製品だから。これからクルマを初めて手に入れる人も、買い替える人も「新しいクルマのメカニズム、機構を是非体感してみてほしい」。自動車メーカーはこれからも素晴らしい「新車」を作り続けてほしい、と。
お二人は現在60代。失礼ながら全く歳を感じないと言うか、感覚がとてもお若い。大変多忙なお二人に2時間以上の取材時間を頂戴した。取材にあたっては、モータースポーツで何かしらの成績を収めたでもなく、ましてやレーサーでもない私。カスタムインフェクション読者の皆さんと変わらない目線の、つまり大変失礼ながらスポーツカー、とりわけチューニングカーが大好きな「1モーターファン」としてお話をお聞きしたいとお願いしたところ快諾していただいた。こんな破格の待遇で迎えていただいたIMPULの星野一義社長をはじめ金子豊取締役営業部長、ホシノインパルの皆さんに感謝を申し上げます。
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